これは、べるりんねっと789が配信していた、
「ベルリン発オンラインマガジン BN789」
2001年6月号に掲載された記事です。

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メイド・イン・ジャパン
 
  なっちゃん
 
六草いちか

 朝ゴハンが大量に降ってきて、みんなでパクついている時のことだった。でかい声が近づいてきた。
 やばいぜ・・・。そう言って仲間の何匹かはいつもの隠れ場に引っ込んだ。
 「もうこれ以上はダメ」と、カアチャンらしい声がして、「ねえ、もう一回だけぇ」と、ガキがなにやら懇願している。
 朝っぱらからなんなんだ。こんな時間から千日前商店街をウロツクなんて、大阪の有意義な過ごし方を知らねえ観光客に違いない。
 そう思った途端に女の悲鳴のような声が響いた。
 「ヒャア、見て!ホンモノ、ほ、ホンモノだよ、ほらっ!!」


千日前商店街

 おいらを覗き込む目が4つ。
 あ、当たり前じゃあねえか、こちとらネジ巻いて前進しかしねえお風呂のオモチャたあわけが違うわい。おいらは背泳ぎをして見せてやった。
 「ねえ、ねえ。かあさん、これにしよう!」
 これたあなんでい。・・・そう思った瞬間にコインを入れる音がした。
 
おいおい、朝ッぱからやめてくれよ、朝ご飯だってまだ上に浮いたままなんだぜ・・・。ま、そう言ってもいられねえか。仕方なく仲間の隠れている茂みに退散しはじめると、カチャカチャ、ウイーンウイーンとやな音を立て始めたお玉のその上で、カアチャンがこう言ったのが耳に入った。
 「かあさんね、UFOキャッチャーって、やったこともないのよ」

 

 なにぃ?UFOキャッチャーをやったことがないぃ??おいらはでかい声で叫んじまった。叫んだ拍子に息が鼻から出ちまって、代わりに水が入り込んで痛かった。
 まあ、どこの田舎モノかは知らなねえが、朝の体操代わりにちょいと一緒に遊んでやるかあ。おいらは音ばかりたつが一向に動く気配のないお玉の前や横をカエル泳ぎやバタフライで通りすぎた。
 そこにまたしも、かあちゃんの叫び声が響いた。
 「あと10秒だって!」
 それからいきなり事態は急変した。お玉がえらい勢いで右へ左へと動き出したのだ。うわっ、何すんでえ、と言おうとした口に水がなだれ込み、水圧でおいらは視覚を失った。波にもまれてもがいていると、今度はかあちゃんの情けない声がした。
 「釣れちゃった・・・」

 うそだろー!そりゃあインチキだぜ!!お玉かき回して釣れたとは何事だー!!おーい助けてくれー!
 一生けんめい水を掻くが、すぐ目の前に見えてる仲間の茂みにどうやったって行けやしない。
 「今はいいけれど、一緒に帰れないかもしれないのよ」
 「でも・・・」
 「泣かないでよ・・・」
 なんだー??何言ってんだ−!なにをいきなりシンミリきてんだー!
 「 わかった。もし入国のおじさんがダメって言ったらまたここに返しに来るんだよ」
 なに?ニューコクノオジサン??何言ってんだ?連れてってくれなくてケッコーだぜー!おーい、一体どうなってんだー!!目の前にあるはずの住みかへはどうもがいても戻れなかった。

 

 天災は忘れたころにやってくる。おいらのかあちゃんが言っていたご教訓の意味がそのときやっとわかった気がした。
 ガキのカアチャンのでかい手がニョリッと水の中に入り、おいらは瞬く間にすくわれちまった。そして次の瞬間にはビニール袋に押し込められ、バシャリと水道水を突っ込まれて、皆に「さよなら」を言おうねと強請された。
 波打つビニールの向こうに、仲間がおいらを不憫そうな顔で見上げているのがうかがえる。やめてくれ醜態をさらけ出させんのは。顔をそむけると子どもとカアチャンの笑った顔が間近にあってギョッとした。


たまんねーなー

 そしてそのあとのことは覚えていない。住み慣れた千日前商店街は瞬く間に消え去り、おいらの袋はやたら揺れて、電車の音や靴の音がするのを袋にぶつかりひっくり返りながら聞いた気がするが、次に意識がはっきりしたのはこのふたりの住みからしい、やたら人間のいる小さな家の食卓の上だった。
 「名前はなんていうの?」
 「なっちゃん」
 へっ?!やめてくれよ。おいらには、かあちゃんからつけてもらった亀太郎という立派な名前があるんだぜ。
 「こんなの釣ってきちゃって。すぐ死んじゃうんじゃないの?」
 「今日死んだら、今日が1万年目の誕生日だったってことさ」
 「どうして・・・?」
 「鶴は千年、カメは万年」
 何言ってんだ、ハラ減ったぞ!エサくれエサ!
 「とにかく今から電話するわ。検閲結構厳しいみたいだし。航空会社にも搭乗許可をもらわないと・・・」
 へ?ケンエツ?コークー外車?登場許可?何言ってんだこいつら・・・。

 

 実に変わった家族だった。落ち着かないほど電話が鳴り、ひっきりなしに人が出入りしていた。なのに「まいどっ!」とか「どないでっか」と言わないのだ。「何年ぶりかしら」といったり「今度はいつ会えるのかしら」と涙ぐむ。そんなに会いたきゃ毎日来ればいいだろうと言いたいとこだが、水から顔でも出そうものなら、ガキがすかさず覗き込み、「なっちゃん!」と言ってはおいらの頭を小突こうとする。おいらはここでは、無口を装うしかなかった。
 極めつけはガキのカアチャンだ。あいつはまったく変わっている。何軒も電話して、なにやら訳の分からん音を口から発し、「フィーレンダンク!」とか言って電話を置くのだ。どこの方言だか知らねえが、まったく変わったカアチャンだ。


おーい、誰かいるか?


・・・ッタクよ

 ある日ガキとカアチャンが、手に手を取って涙ぐんでいた。おいらをあのお店に返さなくてもよくなったと。どうやらニューコクノオジサンというおっさんは、ダメとは言わなかったらしい。おいらはもう観念していた。というよりここんちの食生活はあの仲間といた頃よりはずっといい。それにしてもオオゲサな親子だぜ。
 翌朝、おいらがまだ夢見ごごちのころ、この家族は皆一斉に起きだして、バタバタと音を立てた。一体朝から何やってんだ・・・。薄目を開けたおいらはいきなり持ち上げられ、貧弱な箱の中に押し込められた。そして袋に詰め込まれ、運ばれていった。ちょっと嫌な気が走った。もしかしてカアチャンはガキに偽っておいらをどこかに捨てに行く気じゃあねえだろうな・・・。袋の中では何にも見えない。それからかなりの揺れが続き、いきなり袋が口が開いた。そしておいらの箱は取り出された。いよいよおいらは闇に葬られる・・・。しばらくは目をぎゅうっと閉じていたが、男らしくええいとばかりに開けてみた。ただただおったまげた。

 

 「箱も合わせて500gですね」と言って、量りに乗せられたおいらを、えっれえ美人のネエちゃんが覗き込んでいた。
 周りからは「ベルリンについたら電話頂戴」とかいう声が聞こえる。なんだそのベルリンってのは? ガキは、ヒコーキ、ヒコーキとはしゃいでいる。
 なんだその非行期ってえのは・・・?ツイタラ電話?ベルリン?・・・もしかして、それは外国ってえのじゃあないかあ?? おい、おい、おいらは外国に売られんのか〜っ!!ベルリンってアメリカかあ?!おいらのカアチャンは、おれんちの先祖はアメリカから来たんだって言ってたぞー!売るんならアメリカにしてくれー!祖国にしてくれー!!
 鼻からあぶくボコボコ出して、一生けんめい訴えてんのに、誰も答えやしなかった。そしておいらの箱はまた袋に入れらちまった。しかしおいらはそれ以上叫ばなかった。観念したわけじゃねえ。袋に押し込められる最後の瞬間に、お辞儀を繰り返しながらジイサンやバアサンが、涙を浮かべてんのが見えたから。おいらは千日前商店街では、人情家でも知られていた。
 
おいらの箱はそのあと、時々思い出したように袋から出された。景色はいつも同じで、ガキの膝の上においらの箱が置かれ、皆前を向いて座っていた。そして窓の外には板と空しか見えなかった。
 どれくらい箱の中に閉じ込めらていただろうか。いきなり揺さぶられると思えばまた静まり、そのたびに見たのは同じ景色で、うつろうつろしちまって、今度目が覚めたらもっとギョッとした。
 ガキによく似た顔がさらにふたつも増えていたのだ。
 三つの顔がおいらに食いつかんばかりに迫っている。
 一人はどうやらオンナらしかった。盛んに「抱っこさせて」と言っている。んな汚い手で触んなよ。もう一人は顔こそガキに似てるが、訳の分かんねーやつだ。おいらを「ワンワン」だと抜かしやがる。
 こりゃあ、エレエことになっちまったぜえ。・・・

 

 ここへ来て2週間ほどになる。
 ガキは学校へ行き始めた。非行期だったわけじゃないらしい。どうやらおいらはニューコクノオジサンに登場許可とやらをもらって、コークー外車でベルリンだか言うところに辿り着いたらしい。
 昼間はあのガキに似た顔も見かけない。ガキのカアチャンが「なっちゃああん」といいながらおいらにエサをふりかける。おいらが亀太郎という名のことも全く分かっちゃいない。
 おまけにガキのカアチャンは「ミドリガメをつれてきたのよ」と、辺りかまわず自慢する。
なんもわかっちゃねえ。おいらはヌマガメ科スライダーガメ属アカミミガメ種ミシシッピーアカミミガメてえんだぜ。
 アメリカ系の日本生まれ、東京は葛飾柴又、帝釈天で産湯をつかったとうちゃんと、たこ焼き屋のこいさんとの間に生まれた、いわばハーフよ。
 まあ、それももういいかっ。ここはオテントさまもたぷりあるし、エサにも不自由しちゃあいない。
 「フィーレンダンク!」てえのがベルリンってとこの方言で、感謝の言葉だってのが最近わかるようになった。
 今度コークー外車で大阪へ行ったら、
千日前のやつつらにも教えてやろう。